ここでは、エリファス・レヴィ畢生の名著『高等魔術の教理と祭儀』を中心として、彼の魔術理論を追ってみたい。
 一般に隠秘学とみなされるものには、魔術・錬金術・占星術の三つの部門が存在する。しかしレヴィの用法では、魔術とはそれら三つを総合した意味での超越的魔術のことを指す場合が多く、隠秘学とほとんど同義に使用されている。従って、彼は次のように語り始める。
 隠秘学! 魔術! これこそ諸君に全てを語り、諸君をさらに深い思索へと導きうる言葉である!(1)
 レヴィにとっての魔術とは、この世の全てを語り尽くすものなのである。つまり、より深遠な知識に辿りつくことによって、世界の全的理解へと至ろうとするための手段である。

 彼によれば、魔術とはたった一つの根本教義からなるという。

 全て偉大なるものの例にもれず単純な、遍く絶対的に真なるものの例にもれず明快な至高の理性のごとく力強い、唯一・普遍的な不滅の教義が存在する、そして他の全ての教義はこの教義から発している。(2)
 だがそれもこの字義通りに単純な一つの教義というものではない。カバラ的な数の理論を前提とした上での一であるため、二つ組みとしてあるいは三つ組みとしての形態を同時に持つ複雑な一である。

 そのような意味においてレヴィが設定した隠秘学の最も基本的な教義とは、照応の理論に他ならない。周知のように照応の理論とは、ヘルメス・トリスメギストゥスのエメラルド板に記されている、「上なるものは下なるものの似姿であり、下なるものは上なるものの似姿である」(3)という碑文の解釈そのものである。それは地上的なものと天上的なものとを結び付ける法則であり、眼に見えるものと見えないものとを関係付ける原理である。様々な全てのものは、絶対である唯一者から成り立ったものであり、最終的にはまた一に戻るというものである。彼は次のように述べている。

 存在するものは原理とみなされる統一性の中にあり、目標とみなされる単一性に帰着する。(4)
 これが隠秘学の根本原理であり、この照応の秘密を解き明かすことがすなわち魔術なのである。無論それは単なる仮説にすぎない。当然レヴィ自身もそのことを十分に自覚したうえで、根本教義が絶対的な真実であるなどとは一つも言っていないし、盲目的に信じている訳でもない。彼は次のようにすら述べている。
 教義とは推定しうる一つの等式から絶えず上昇し続ける仮説である。(5)
 しかしこの仮説を選ぶということは、少なくともそれを信じるということではあるが、理由もなく信じるという訳ではない。信じるということは、「まだ知らないが、理性に照らしていつか知ることが、あるいは少なくとも認めることが前もって確実なことがらに同意する」(6)ことであるのだ。つまりレヴィが照応の理論を信じたのは、「学問を通して認識され評価された諸結果の証言に従って理性が我々に否応なく認めさせる要因」(7)があったからに他ならない。

 以上の理由からレヴィは照応の理論を信ずるに足るものと判断し、その証明作業である魔術という学を究めようとしたのである。その態度表明とも取れるのが次の如き文章である。

 高い学への道は、向こう見ずに踏み込んではならない。だが一旦歩き出した以上は行き着くか破滅するかのどちらかであろう。迷うことは狂うことである。立ち止まることは、斃れることである。後戻りすることは深淵に墜落することである。(8)
 照応の理論とは、言い換えれば均衡の理論でもある。つまり、「すべて充溢には虚無が、すべて容積には空間が、すべて肯定には否定が、存在理由として、必要であるからだ」(9)という具合に、一つの存在が存在として認識されるためにはもう一つのそれに見合う存在が必要なのである。照応の理論が成立するということは、対応するニ存在が釣り合っているからである。それ故、宇宙が平衡に保たれているのである。

 従って照応と均衡の理論とは、「相反するものを互いに中和させることなく結び付けるすべ」(10)であり、「有限なるものと無限なるものとの間に可能な唯一の媒介」(11)となり得るのである。つまり均衡とは、照応の理論からは次のように表わされる。

 均衡、それは相反するものの照応から生じる調和である。(12)
 
 
 
 エリファス・レヴィの魔術理論の展開は、カバラ体系の解釈から成立している。彼によれば、カバラはその利用法から五つに分類される。それは自然学的カバラ、類比学的カバラ、観照的カバラ、占星術的カバラ、魔術的カバラの五つである。これだけで、隠秘学の主要な部門はほとんど含まれている、隠秘学には、もう一つの重要な思想体系である錬金術が存在するが、カバラ体系の歴史的発展段階において両者は混合しほぼ同義にすらなっているため、カバラについて語ることによって隠秘学全体を纏めあげようとする姿勢がみられる。

 レヴィがカバラについて語っている以下の文章からも、彼がどれ程カバラに心酔していたかがうかがい知れる。

 カバラの神殿深くもぐりこんで、かくも論理的な、かくも単純な、同時にまたかくも絶対的な教義を目にするとき、われらは感嘆の年を禁じえない。観念と記号の必然的結合。原初的諸性格にもとづく最も基本的な諸実在の認定。言葉と、文字と、数字の三位一体。アルファベットのように単純で、『言葉』のように深奥な哲学。ピタゴラスのそれよりもさらに完璧でさらに鮮明な定理。指折り数えて要約する神学。幼児の掌中にもつかませ得る無限。十個の数字と二十二個の文字、一個の三角形と、一個の正方形と、そして一個の円。以上がカバラの構成要素のすべてである。これらが世界を創造した語られる『言葉』の反映、記される『言葉』の基本要素である!(13)


 
 では、レヴィの照応と均衡の理論を具体的にみてみたい。照応の理論においては、まず唯一のものが存在する。全ての事象はその唯一のものから展開して行くのである。その展開の方法とは、他に何も存在するものがない以上、自ら増えることでしかない。
 単一は、活動的になるためには自己増殖しなければならない。分割できない、不動不毛の原理は、生命のない理解されない単一で終わるだろう。(14)
 第一の増殖によって単一のものが二つに分化する。二つの存在が出現すると、その二者の間には何らかの関係性が生じる。その関係を理解するためには、認識しなければならない。そして認識という作業を行う場合には、認識される対象が必ず必要となる。そこで分化したニは、互いを認識し理解するという点で不可分の二つ組みを形成する。

 だが二のままでは、不安定な対立関係が続くだけである。そこで二つ組みに分化した単一は、今一つを自ら創造し均衡する三つ組みを形成する。この過程は、無限の相に存在する単一が、語る存在−語られる存在−話題にされる存在といった関係を作るということである。

 三位一体の教義はここから発している。すなわち、一でしかないのであれば、「神」は何ものをも創造することはなかった筈であり、二であれば対立し続けるだけである。従って「神」は三なのである。

 三における一、一における三こそが魔術の基本となる教義である。対立するものの均衡、それが調和であり、神なのである。

 
 三つ組みは神の発現形態の第一段階での一応の完成である。だが完全なる調和がなされてはいるが、未だ全体として一つであるという統合には至っていない。それゆえに、その三つ組みの存在自体を統一する新たなる次元へと発展する。その経緯は以下のように述べられている。
 『自然』の中には一つの均衡を生み出す二つの力がある。そしてこれら三つのものは単一の法則に他ならない。これこそは統一の中に要約される三つ組みであり、そして、三つ組みの概念に統一のそれを加えると、四つ組みに、最初の完全な平方数、数のありとあらゆる組み合わせの出発点、ありとあらゆる形態の原理に到達する。(15)
 つまり、単一という存在を肯定するためには、四つ組みが前提となる。すなわち、単一は二つ組みによって認識される三つ組みの存在として説明される。そしてその三つ組みを説明するために必要なのが統合であり、四つ組みなのである。それは人間の精神活動の側面から言い換えるならば、肯定−否定−論議−解決の四つとなる。

 だが四つ組みとは、単なる発展形態の流れとしての意味だけではない。二つの肯定と二つの否定という意味をも持つ。この意味から四つの要素という観念が生み出されるのである。錬金術においては、「塩」・「水銀」・「硫黄」・「アゾト」、また魔術においては、「風」・「水」・「土」・「火」という四大元素の観念となる。また東西南北という方位も、光の肯定と否定である東−西と、熱の肯定と否定である南−北という要素に解釈されるのである。

 そういった四つの要素は、二組の肯定−否定の線が交叉する哲学的十字架を構成する。隠秘学の象徴の中でも最も重要なものである十字架の象徴とは、存在の基本的な意味である四つ組みの意味を持つものなのである。
 また四つ組みをヘブライ文字で表すならば、絶対者の象徴であるヨッド(Y)、その否定であるヘー(H)、調和である三位一体を表すヴァウ(V)、そしてまたその否定となるヘー(H)となる。
 この四文字こそがテトラグラマトン(聖四文字)と呼ばれるものであり、宇宙のあらゆる秘密を解く鍵である。YHVHとはすなわち神の名前なのである。


−註−
  1. 『高等魔術の教理と祭儀 教理編』 生田耕作訳 人文書院 1982 pp.18
  2. 前掲書 pp.19
  3. "Dogm et rituel de haute magie" Bussiere 1982 pp.43
  4. 『高等魔術の教理と祭儀 教理編』 生田耕作訳 人文書院 1982 pp.54
  5. 前掲書 pp.263
  6. 前掲書 pp.56
  7. 前掲書 pp.56
  8. 前掲書 pp.51
  9. 前掲書 pp.35
  10. 前掲書 pp.121
  11. 前掲書 pp.263
  12. "Histoire de la magie" Maisnie 1976 pp.526
  13. 『高等魔術の教理と祭儀 教理編』 生田耕作訳 人文書院 1982 pp.32
  14. 前掲書 pp.72
  15. 前掲書 pp.82