人間の行為は三つのタイプに分類することができる。

 一つは、最も自然なものである、本能的に快楽を充足させようとする行動が欲動である。フロイトのリビドーはこれである。この行動には善悪などの判断は介在しない。

 二つめは、欠如の認識から発生する「必要」としての行動である。空腹を感じて、自らの肉体に食物の欠如を認識してそれを欲する。こうした生物学的なものが欲求と呼ばれる。
 しかし人間には更にもう一つの行動、欲望というものが存在する。これは生物学的な必要ではなく、他者との関わりにおいて発生する観念や象徴への渇望である。地位や権力の欲望がこれにあたる。他者との関係性の中で成立した欲望は、他者の欲望への欲望という形で無限に再生され肥大化して行く。全ての犯罪や戦争、愛や憎しみはこうした限界のない欲望から起こる。

 エロティシズムとは、この欲望としての性である。つまり欲動や欲求による性はエロティシズムとは無縁である。異性の肉体や自慰行為を欲望するのは、対象物そのものの存在性からではなく、その対象物が持つ象徴やイメージの喚起を欲するということである。
 そうなると、他者との関係性というときの他者とは、現実に存在するものではなくても良いことになる。つまり他者とは自己である。自己が創造し、想像し得るイメージこそが他者の実体であり、それ以外には何も存在しない。